ネパール エベレスト街道トレッキング

札幌在住のY田です。
2024年3月5日〜21日の17日間でネパール エベレスト街道トレッキングに行ってきました。ハイシーズンの少し前でシャクナゲの開花前、寒かったですが、全行程、天候に恵まれ、カラパタール5550mからのエベレストの眺望を楽しむことができました。

(メンバー) 札幌中央勤労者山岳会 9名(平均年齢72歳。私は下から3番目でした)

(スタッフ) カトマンズのBochoi Bochoiトレック手配。日本語を話せるガイド2名、ポーター4名

(経費) カトマンズへの往復航空機代 15万円、現地での交通・宿泊・ガイド代 27万円、その他5万円で約47万円

(気候・装備)トレッキング中はウールの下着上下にフリース、ナノパフ。5000m以上ではダウンを着ました。天気が良かったのでそれ程冷えず、雨具上下を防風にも使用。気温は4000mを超える宿泊では最低マイナス10度位にはなったと思います。シュラフをベッドと併用して快適に眠りました。 乾燥しているので、ウールの下着を11日連続着用したが不快感は無かった。

(高山病・疾病対策)
破傷風とA型肝炎の予防注射。ネパールはどこでも犬が「寝て」いるので、狂犬病の注射も考えたが、まあ大丈夫だろうと割愛。
高山病対策は、とにかくゆっくり歩くことと、口すぼめ呼吸による呼吸法の徹底。予防及び就寝時の高山病予防としてダイアモックスを予め服用。メンバーのうち、1名は高度4900mで軽い肺水腫になりヘリでカトマンズへ搬送。夜間、小屋に備えつけの酸素を投与しましたが、酸素吸入でもSPO値30で、酸素外した瞬間に0となる状況でした。
コロナで馴染み深くなったパルスオキシメーターで毎日、全員、測定していましたが、5000m近くではSPO値70位。それでもちゃんと生きていました。
ちなみに、肺水腫になったメンバーを除き、私だけが高所反応がひどく、頭痛、食欲不振、下痢、咳と一通り出ましたが、ダイアモックスと呼吸法のおかげか、無事、目的地を往復できました。

(宿泊・道など)
10年前に行ったメンバーによると、観光のため道や宿が見違えるほど整備されたそうです。ナムチェバザールまでは石畳や舗装された道(それでも車は通れない)が多く歩きやすい。崖の道や吊り橋でゾッキョ(ヤクと牛の混血)やロバの輸送隊とすれ違うのが大変だけど。
LEDとソーラーの普及でどこの宿でも照明はありました。かつては、夜、真っ暗だったそうな。エベレスト街道は一大観光資源なので宿も増えているようです。かつては薪を使っていたようですが、資源保護の関係からプロパン(14kgのボンベに16kgのガスを詰めたもの)を使っています。ストーブはヤク糞ストーブが暖かい。
1950年代のヒマラヤ初登時の記録を読むと、カトマンズからナムチェバザールまで3〜400人のポーターで荷を運んだというのですから様変わりですね。

(食事)
宿と途中の店で食事を取ります。私は何でも美味しく食べました。カレー、各種スープ、モモ(水餃子)、焼きそば、チャーハン、麺、卵料理など。ガイドが持参した日本米で雑炊、お粥、卵どんぶりなどを作ってくれたこともありました。
どこでもチャイを飲みましたが、飲料水は500mlのペットボトル(150〜600円位)を買って持ち歩きました。

(通信)
TRAVeSIMのeSIMを利用。なぜか、ディンボチェから上で通じなかったが、その他は快適。

(行程)
3月5日  新千歳空港→韓国 仁川(泊)
3月6日  仁川 → ネパール カトマンズ(泊)
3月7日  カトマンズ(空路)→ ルクラ2850m(歩き始め) → パグディン 2610m
3月8日  パグディン 2610m→ ナムチェバザール 3440m
3月9日  ナムチェバザール滞在(高度順応)3880mまで
3月10日  ナムチェバザール 3440m → タンボチェ 3890m
3月11日  タンボチェ 3890m → ディンボチェ 4350m
3月12日  ディンボチェ(高度順応日)4775mまで
3月13日  ディンボチェ 4350m → ピラミッド(ペリチェの先) 4970m
3月14日  ピラミッド 4970m→ カラパタール 5550m → ピラミッド 4970m
3月15日  ピラミッド 4970m→ パンボチェ 3930m
3月16日  パンボチェ 3930m→ ナムチェバザール 3440m
3月17日  ナムチェバザール 3440m → ルクラ 2850m
3月18日  ルクラ(空路) → カトマンズ
3月19日  カトマンズ観光
3月20日  カトマンズ観光、カトマンズ(空路)発
3月21日  仁川乗り継ぎ、新千歳空港着
 

膝の故障やら高度への不安など抱えながらも、出発してしまうと楽しくなってくる。韓国の仁川経由でカトマンズ着。現地代理店メンバーと落ち合う。パスポートはトレッキング中預かってもらうので楽。自分で背負うのは雨具、防寒着、水、ライト、行動食位なので、その他の荷物は代理店が用意した60リットル位の防水バックに入れて預ける(ポーターが運んでくれる)。

3/7 夜明けと同時にカトマンズから17人乗りのプロペラ機でルクラへ。有視界飛行なので、天気が悪いと飛ばない。ちなみに、今回トレッキング中、すべて晴れ。前後の日程では雨や雪の日もあったようで、実に幸運。このルクラ便が天気が悪いと何日も飛ばないので、運が悪いとすべての日程が狂い、最悪、日本への帰国便に乗り遅れることになる。気密性の無い飛行機で3500m位を飛ぶので、早速、高所反応で気持ち悪くなる。
ルクラで朝食後、早速歩き始める。ポーターは4人で1個15kg位のパックを3〜4個背負っている。ちなみに、最高で120kg担ぐとか。建設資材など、ロバやゾッキョに積めないものはすべて人間が担いでいた。 日本の山村のような道を上下しながらパグディンへ。泊。

3/8 ナムチェバザールへ。川底からの高さ100m以上はある吊り橋を何か所か渡るが、鉄製でしっかりしており不安は感じない。ゾッキョの輸送列とのすれ違いだけは気を使うが。エベレスト街道、4月は真っ赤なシャクナゲが咲くそうだが、まだ数本の花を見たのみ。タムセルクを見ながら歩く。道は600mの登りとなり、すり鉢状の斜面に宿が密集したナムチェバザールに到着。長崎の街を思い出すような感じ。登山用品などを売る店も多数あり。まだハイシーズン前なので、全部の店は営業していないとのこと。ナムチェバザール泊。

3/9 高度順応のため、3880mのエベレストビューホテルまで往復。エベレストが遠くに見える。アマダブラム、タムセルクの秀峰も。ナムチェバザール泊。

3/10 夜明け前から宿の前の道を通るゾッキョやロバのカウベルの音がする。今日は大きなラマ教僧院(ゴンパ)のあるタンボチェへ。乾いて埃っぽい道とあちこちに落ちている糞にも慣れっこになる。日が射すと暑く、ウール下着1枚で歩く。
高度の影響、出始める。タンボチェ泊。

3/11 シャクナゲ林を下って上り下りしながら歩く。森林限界は4000m位か。呼吸に注意しながら歩く。ディンボチェ泊。

3/12 高度順応のため、4775mの丘まで往復。アイランドピーク、マカルー、ローツェなどが姿を見せる。ディンボチェ泊。高所の影響で下痢、頭痛。

3/13 今日はロブチェの村を超え、ピラミッドまで。アマラブダムを見ながらぐるっと回るように道を辿る。途中のチョクラパスの峠にはチョルテンが翻り、エベレストで亡くなったシェルパらの慰霊碑が並ぶ。ピラミッド4970mに泊。下痢が続く。

3/14 いよいよ最高点、カラパタールへ向かう日である。ヘッドランプをつけて5時過ぎに出発。ヤクのカウベルが聞こえるので暗いうちから荷を運んでいるのだろう。エベレストBC開設のための輸送とのこと。
夜が明け、正面にプモリの三角錐が見えてくる。その稜線に続く茶色の丘がカラパタール。近そうに見えて通い。
途中のゴラクシェプで朝食。ひたすらゆっくり登る。今日は、早いと10頃に湧いてくる雲の姿も見えず快晴である。風が強くなるなか、岩の積み重なった道を辿り、12時42分、カラパタール着。ヌプツェ、エベレスト、ローツエの大パノラマが広がる。プモリも美しい。高度順応をしていけば5000mを超えても登れるものだなあ。
下りは早い。ピラミッド泊。

3/15 乾いた道をペリチェ経由で下る。予定のティンボチェの手前、パンボチェで泊まることにする。

3/16 ティンボチェを超え、ナムチェバザールへ。えらくにぎやかな街に感じる。昨夜から咳が止まらず、歩行速度が落ちる。高所の影響か。ナムチェバザール泊。

3/17 ルクラの街まで降りる。ポーターの4人とはここでお別れ。近くの村から来ているそうだが、近くというのは、3日かかる村とのこと。トレッキング最後の夜はルクラ泊。

3/18 飛行場までのちょっとした坂が登れない。咳で肺を痛めたか。
天気良く、カトマンズまで無事に飛行。カトマンズに戻るとSPO値97まで戻る。

3/19、3/20にかけてカトマンズ観光。寺院を見学したり、込み入った街中を歩いたりして楽しむ。信号が無いので、車とバイクの洪水を横切るのは度胸がいる。3/20カトマンズの空港を出発。仁川経由で帰国。

初めてのネパール、天候に恵まれて楽しめました。
カラパタール


アマダブラム

カラパタールにて

チョクラパス

ナムチェ

ナムチェバザール

プモリ


吊り橋